われらが誇れる緑友の後輩三浦文彰
2018年10月6日にサントリーホールでガラ・コンサートが行われた。演奏者は、われらが誇る緑友の後輩の天
才ヴァイオリニスト三浦文彰と盲目のこれも天才ピアニスト辻井伸行だ。三浦文彰は、権威ある国際ヴァイオリ
ン・コンクール、ハノーファー国際コンクールにおいて2009年最年少の16歳で優勝し一躍脚光を浴びた。母校
学芸大学付属中学を卒業し手間もなくだ。溜息が出るほど若い59回生だ。他方、辻井伸行は、同じく2009年
に20歳でヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに日本人として初めて優勝し、これまた一躍脚光を浴びた。
ちなみに、ヴァン・クライバーンはアメリカの生んだ最も偉大なピアニストの一人で、折しも冷戦時代の1958年に人
類最初の人工衛星スプートニクを打ち上げたソ連が、芸術文化においても世界に冠たるところを誇示するために創
設した第1回チャイコフスキー国際ピアノコンクールで優勝したことはよく知られている。ソ連は自国から優勝者を出
すことが至上命令のようになっていたにもかかわらず、いわば敵国アメリカの片田舎から突然現れたクライバーン
が優勝をさらったのだから、彼は一躍アメリカの英雄となった。
そのいきさつがふるっている。クライバーンがチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を弾き終わると、観客は総立ち
で大喝采、ソ連人の審査員が満場一致でクライバーンを1位にあげた。ちょっと当惑したであろう審査委員長は、時
のソ連首相のフルシチョフに「アメリカ人のクライバーンを優勝させてもいいか」とおそるおそるお伺いをたてたところ
、フルシチョフは「本当に彼が一番なのか?」と問い返し、そうだと答えると、それならば賞を与えよと懐の深いとこ
ろを示したという逸話は語り草になっている。
横道にそれたが、演奏会曲目は、もう一人の演奏者ヴィキングル・オラフソンがバッハを中心に小曲をオムニバス
で演奏、続いて辻井伸行の伴奏で三浦文彰がブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番 (作品78) 通称 <雨の歌>
を演奏。この曲が <雨の歌> と言われているのは、第3楽章の主題にブラームスの歌曲 <雨の歌> (作品59の3)
のメロディーが用いられているからであるが、この歌曲はクララ・シューマンが好んでいたところから、クララに一生
心を寄せていたブラームスの思いが込められていると言われている。この曲は評論家が「抑制された甘美さと、涙
をとおしてほほえみかけるような悩ましい優しさに溢れた傑作」と書いた名曲である。それを三浦と辻井の息がぴっ
たり合って美しく歌い上げた。
さて、ブラームスの後は辻井伸行のベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番、通称「月光ソナタ」だ。僕はこの月光ソ
ナタには一家言ある。第1楽章の有名な三拍子の美しいメロディーはベートーヴェンがモーツァルトのピアノ協奏曲
第21番の2楽章からヒントを得たものだと思っている。ベートーヴェンはモーツァルトの協奏曲第20番に感銘を受け
、カデンツァを書いているくらいであるから (この曲を演奏するほとんどのピアニストがベートーヴェンのカデンツァを
使っている)、21番の楽譜も精査したに違いない。そして2楽章の後半に現れる左手の三拍子に触発されてソナタ
を書きたいと思ったのではないか。こんなことを言う評論家は見当たらないので、これは僕の独断と偏見かもしれ
ない。緑友のみなさんも、これらの曲のCDをお持ちでしたら是非聴き比べてみてください、とてもよく似ていますか
ら。
演奏会の最後を飾ったのがモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364だ。この曲はモーツァ
ルトがパリ旅行をして帰国した翌年の1779年、23歳になる前にザルツブルクで書いた作品だ。モーツァルトのパリ
旅行は、就職活動も実を結ばず、挙げ句の果てに旅先で同行していた母親を亡くすという悲劇に見舞われ、悲しみ
と失意のどん底にあった時に書かれたと言われている。その第2楽章は、評論家をして「胸が張り裂けそうなほど
悲しくも美しい第2楽章のアンダンテ」と言わしめた、それはそれは美しい曲だ。
この曲を書くにあたって、モーツァルトはヴィオラを半音高く調弦するように指示している。これにより、変ホ長調のこ
の曲をヴィオラはニ長調で弾くことになり、開放弦が多く使えることでヴィオラの共鳴度を高めている。また、半音高
く調弦することでそれだけ弦の張力が高くなり、地味なヴィオラにヴァイオリンに負けない艶やかな響きを与えてい
る。ピアノやヴァイオリンだけでなくヴィオラの名手でもあった天才モーツァルトならではのにくい計らいだ。バックの
室内管弦楽団は、ヴィオラを弾き振りしたベテランのユーリ・バシュメットが1992年に結成したモスクワ・ソロイスツ
だった。
三浦文彰のヴァイオリンは宗次コレクション - 孤児院から身を興し、カレーライス専門店CoCo壱番屋の成功で財を
成した実業家、宗次徳二が蒐集したストラディヴァリス6挺などヴァイオリンを中心に30余の銘器を有望な若手演奏
家に無償で貸与している - から貸与された1704年製のストラディヴァリウス “Viotti” である。26歳の我らが後輩
が、モーツァルトが生まれる半世紀以上前に作られた楽器を駆使して、モーツァルト22歳の時に書かれた傑作をこ
の現代に蘇らせてくれた。まさに時空を超えた出来事で、クラシック音楽の素晴らしさを痛感する。